「経営のミスリードにダマされるな!」への反論②
前回、「経営のミスリードにダマされるな!」のタイトルで、
武蔵野 小山昇氏の考え方とICOの考え方の違いを書きました。
すると、ある経営者から、大長文の丁重なる文章をいただきました。
仮名として、T会長とさせていただきます。
そこには、
「銀行に対するICOの考え方を100%信じると、
小山さんのいうとおり、資金面で危ないときがあります。」を冒頭に、
T会長のお考えの礎となる、様々なご体験を詳細に記していただきました。
しかし、その大変なご体験・苦難に基づくお考えに対しても、
ICOとしての考えがあるのです。
今回は、大先輩への失礼を承知のうえで、
そのことについて、書かせていただきます。お許しください。
- 若き頃の強い体験は、いつもまでも引きずりやすい
T会長は、1970年代に会社を興され、
早々に石油ショックの影響を受けて、資金難に陥りました。
しかし、銀行に頼ることなく、資金の死線が近づくなか、
得意先に頭を下げて支払いを伸ばしてもらう、
販売力を強化して何でも売ってお金に変える、
といった血のにじむご努力で、その難局を切り抜けられたのです。
銀行は、
資金状況からみれば、T会長は必ず相談に来るはず、と思っていました。
ところが、銀行への相談は全くなく、自力で難局を切り抜けたことで、
銀行はT会長の経営手腕を大いに評価しました。
そのことがあったから、その後の融資取引は、
ほぼ要望どおりに資金調達できた、とT会長は述懐されるのです。
T会長がすぐに銀行へ相談しなかった理由は、
銀行は最後の頼みの綱と考えていたから、とも書かれています。
銀行に断られることは、会社の死を意味する、と感じておられたのです。
実際、石油ショックの前後の時代の日本は、
資金需要に対してお金の供給が不足していた時代です。
いまとは真逆の時代だったのです。
現在の格付け(スコアリング)もなく、
銀行支店長の采配で、どこに貸すかを決めていた時代なのです。
それくらい、銀行の力は強く、貸し手が優位な時代だったのです。
だから怖くて相談になど、いけなかったのです。
断られたら、万事休すなのですから。
その時代を経験している、80歳前後の経営者はとりわけ、
当時の銀行の存在感や対応が、今も染みついています。
このようなご経験が原体験となり、経営者としての、
長いキャリアを積み重ねられたのです。
当時の厳しくもつらい体験が、今も根付いておられるのです。
銀行のことに関わらず、若き頃の強烈な体験は、
その人の考え方や生き方の土台を作ります。
なかなか簡単には、抜けきらないのです。
若き頃の強い体験は、いつまでも引きずりやすいのです。
T会長の今現在のお考えの背景には、
若き頃の銀行とお金への体験の、
今とは比べ物にならない厳しさを、感じずにはおられないのです。
(古山喜章)
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